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岩谷文库vol.12《沙漠》伊坂幸太郎(10)

2023-11-21 来源:百合文库
僕の目から見ると、確かに社会は、ある意味「砂漠」だと思います。どこまでも広がっていて、自分自身で考えて歩いて行かなくてはならない。そこには道しるべもなければ、導いてくれる誰かがいるわけでもない。僕たちが生きていく人生や社会は、楽しいこともあるけれど、つらいこともたくさんある。それを、果てしない「砂漠」のなかを自ら選択しながら歩んでいく行為にたとえているのが秀逸だと思いました。
在我看来,社会在某种意义上确实是沙漠。接下来的道路必须由自己去探索,自己思考着走下去。不管是沙漠还是之后的人生,都既没有路标,也没有引路的人。我们生活的人生和社会,有快乐的事,也有痛苦的事。因此,我觉得将它比喻成在无边无际的沙漠中做出自己的选择并走下去,真的很贴切。
柴柴趴在橘子旁边もしかすると「学生時代は『勉強しなくてはならない』、社会人は『働かなくてはならない』。どちらの立場であっても課せられるものはあるから、同じようなものではないの?」と疑問に思う人がいるかもしれません。でも、この二つは違うと思います。

岩谷文库vol.12《沙漠》伊坂幸太郎


“学生时代‘必须去学习’,社会人‘必须去工作’。不管在哪个阶段,都有必须要去做的事,这有什么不同吗?”可能有人会抱有这样的疑问。但是,我觉得这不一样。
学生時代は、親に言われて何かをして、達成したら親から褒めてもらえて、生きているのも家庭と学校だけの小さな世界、いわばひとつの街みたいなものです。でも、社会に出るということは、守られていた小さな街から、どこまでも広がっている砂漠に立ち、次の街がどこにあるのか、どうやったらたどり着けるかもわからない中を手探りで歩いていくのに等しい。たとえば僕たちTHE RAMPAGEは、長い間ドームツアーを目標にしていましたが、これをしたら確実に実現できる、という保証はどこにもありませんでした。それでも人間は、自分の行く道を自分で決めて、自分の力で歩き続けなくてはならない。それって、「砂漠を歩く」ことにすごく似ていると思います。

岩谷文库vol.12《沙漠》伊坂幸太郎


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