山月記(8)
袁傪は又下(か)吏(り)に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。
偶因狂疾成殊類
(たまたまきょうしつによってしゅるいとなる)
災患相仍不可逃
(さいかんあいよってのがるべからず)
今日爪牙誰敢敵
(こんにちそうがたれかあえててきせん)
当時声跡共相高
(とうじせいせきともにあいたかし)
我為異物蓬茅下
(われいぶつとなるほうぼうのもと)
君巳乗軺気勢豪
(きみすでにちょうにのりてきせいごうなり)
此夕溪山対明月
(このゆうべけいざんめいげつにたいし)
不成長嘯但成嘷
(ちょうしょうをなさずにしてただこうおなす)
時に、残月、光冷(ひ)やかに、白(はく)露(ろ)は地に滋(しげ)く、樹(じゅ)間(かん)を渡る冷(れい)風(ふう)は既に暁(あかつき)の近きを告(つ)げていた。人々は最早、事の奇(き)異(い)を忘れ、粛(しゅく)然(ぜん)として、この詩人の薄(はっ)倖(こう)を嘆(たん)じた。李徴の声は再び続ける。
何故こんな運命になったか判らぬと、先(せん)刻(こく)は言ったが、しかし、考えように依(よ)れば、思い当(あた)ることが全然ないでもない。人間であった時、己は努(つと)めて人との交(まじわり)を避(さ)けた。人々は己を倨(ぎょ)傲(ごう)だ、尊(そん)大(だい)だといった。実は、それが殆(ほとん) ど羞(しゅう)恥(ち)心(しん)に近いものであることを、人々は知らなかった。勿(もち)論(ろん)、會ての郷(きょう)党(とう)の鬼(き)才(さい)といわれた自分に、自尊心が無かったとは云(い)わない。しかし、それは臆(おく)病(びょう)な自尊心とでもいうべきものであった。已は詩によって名を成そうと思いながら、進(すす)んで師(し)に就(つ)いたり、求めて詩(し)友(ゆう)と交(まじわ)って切(せっ)磋(さ)琢(たく)磨(ま)に努めたりすることをしなかった。