山月記(7)
他でもない。自分は元(がん)来(らい)詩人として名を成(な)す積(つも)りでいた。しかも、業(ぎょう)未(いま)だ成(な)らざるにこの運命に立(たち)至(いた)った。會て作るところの詩数(すう)百(ひゃっ)篇(ぺん)、固(もと)より、まだ世(よ)に行(おこな)われておらぬ。遺(い)稿(こう)の所(しょ)在(ざい)も最(も)早(はや)判らなくなっていよう。ところで、その中(うち)今も尚(なお)記(き)誦(しょう)せるものが数(すう)十(じゅう)あるこれを我が為(ため)に伝(でん)録(ろく)して戴(いただ)きたいのだ。何も、これに仍(よ)って一人前の詩人面(づら)をしたいのではない。作(さく)の巧(こう)拙(せつ)は知らず、とにかく、産(さん)を破(やぶ)り心を狂わせてまで自分が生(しょう)涯(がい)それに執(しゅう)着(ちゃく)したところのものを、一部なりとも後(こう)代(だい)に伝えないでは、死んでも死に切(き)れないのだ。
袁傪は部下に命じ、筆(ふで)を執(と)って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗(ろう)々(ろう)と響(ひび)いた。長(ちょう)短(たん)凡(およ)そ三(さん)十(じっ)篇(ぺん)、格(かく)調(ちょう)高(こう)雅(が)、意(い)趣(しゅ)卓(たく)逸(いつ)、一(いち)読(どく)して作者の才の非(ひ)凡(ぼん)を思わせるものばかりである。しかし、袁傪は感(かん)嘆(たん)しながらも漠(ばく)然(ぜん)と次のように感じていた。成(なる)程(ほど)、作者の素(そ)質(しつ)が第一流に属(ぞく)するものどこであることは疑(うたが)いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。
旧(きゅう)詩(し)を吐(は)き終(おわ)った李徴の声は、突(とつ)然(ぜん)調(ちょう)子(し)を変え、自(みずか)らを 嘲(あざけ)るか如(ごと)くに言った。