山月記
[日] 中岛敦
隴西(ろうせい)の李(り)徴(ちょう)は博学(はくがく)才(さい)穎(えい)、天(てん)宝(ぽう)の末年(まつねん)、若(わか)くして名(な)を虎(こ)榜(ぼう)に連(つら)ね、ついで江南(こうなん)尉(い)に補(ほ)せられたが、性(せい)、狷(けん)介(かい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚(あつ)く、賤(せん)吏(り)に甘(あま)んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官(かん)を退(しりぞ)いた後(のち)は、故(こ)山(ざん)虢(かく)略(りゃく)に起(き)臥(が)し、人(ひと)と交(まじわり)を絶(た)って、ひたすら詩(し)作(さく)に耽(ふけ)った。下(か)吏(り)となって長(なが)く膝(ひざ)を俗(ぞく)悪(あく)な大(たい)官(かん)の前(まえ)に屈(くっ)するよりは、詩(し)家(か)としての名(な)を死(し)後(ご)百(ひゃく)年(ねん)に遺(のこ)そうとしたのである。
しかし、文(ぶん)名(めい)は容(よう)易(い)に揚(あ)がらず、生(せい)活(かつ)は日(ひ)を逐(お)うて苦(くる)しくなる。