山月記(5)
気が付くと、手(て)先(さき)や肱(ひじ)のあたりに毛を生(しょう)じているらしい。少し明(あか)るくなってから、谷(たに)川(がわ)に臨(のぞ)んで姿を映(うつ)して見ると、既に虎となっていた。自分は初(はじ)め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても夢でないと悟(さと)らねばならなかった時、自分は茫(ぼう)然(ぜん)とした。そうして懼(おそ)れた。全く、どんな事でも起(おこ)り得(う)るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何(なに)事(ごと)も我々には判(わか)らぬ。理(り)由(ゆう)も分らずに押(おし)付(つ)けられたものを大人(おとな)しく受(うけ)取(と)って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
自分は直(す)ぐに死を想(おも)うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎(うさぎ)が駈け過(す)ぎるのを見た途(と)端(たん)に、自分の中の人間は忽ち姿を消(け)した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗(まみ)れ、あたりには兎の毛(け)が散(ち)らばっていた。これが虎としての最(さい)初(しょ)の経(けい)験(けん)であった。それ以来今までにどんな所(しょ)行(ぎょう)をし続(つづ)けて来たか、それは到(とう)底(てい)語(かた)るに忍(しの)びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還(かえ)って来(く)る。そういう時には、會ての日と同じく、人(じん)語(ご)も操(あやつ)れれば、複(ふく)雑(ざつ)な思(し)考(こう)にも堪(た)え得(う)るし、経(けい)書(しょう)の章(しょう)句(く)を誦(そら)んずることも出(で)来(き)る。