山月記(3)
残(ざん)月(げつ)の光(ひかり)をたよりに林(りん)中(ちゅう)の草(そう)地(ち)を通(とお)って行(い)った時(とき)、果(はた)して一(いっ)匹(ぴき)の猛(もう)虎(こ)が叢(くさむら)の中から躍(おど)り出(で)た。虎は、あわや袁傪に躍(おど)りかかるかと見えたが、忽(たちま)ち身を飜(ひるがえ)して、元の叢に隠(かく)れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰(くり)返(かえ)し呟(つぶや)くのが聞えた。その声に袁傪は聞(き)き憶(おぼ)えがあった。驚(きょう)懼(く)の中(うち)にも、彼は咄(とっ)嗟(さ)に思(おも)いあたって、叫(さけ)んだ。「その声(こえ)は、我(わ)が友(とも)、李徴子ではないか?」袁傪は李徴と同(どう)年(ねん)に進(しん)士(し)の第(だい)に登(のぼ)り、友(ゆう)人(じん)の少(すくな)かった李徴にとっては、最(もっと)も親(した)しい友であった。
温(おん)和(わ)な袁傪の性格が、峻(しゅん)峭(しょう)な李徴の性(せい)情(じょう)と衝(しょう)突(とつ)しなかったためであろう。