山月記(2)
一方(いっぽう)、これは、己(おのれ)の詩(し)業(ぎょう)に半(なか)ば絶(ぜつ)望(ぼう)したためでもある。曾(かつ)ての同(どう)輩(はい)は既(すで)に遥(はる)か高(こう)位(い)に進(すす)み、彼(かれ)が昔(むかし)、鈍(どん)物(ぶつ)として歯(し)牙(が)にもかけなかったその連(れん)中(じゅう)の下(か)命(めい)を 拝(はい)さねばならぬことが、往(おう)年(ねん)の儁(しゅん)才(さい)李徴の自(じ)尊(そん)心(しん)を如何(いか)に傷(きず)つけたかは、想(そう)像(ぞう)に難(かた)くない。彼(かれ)は怏(おう)々(おう)として楽(たの)しまず、狂(きょう)悖(はい)の性(せい)は愈(いよ)々(いよ)抑(おさ)え難(がた)くなった。一(いち)年(ねん)の後(のち)、公(こう)用(よう)で旅(たび)に出(で)、汝(じょ)水(すい)のほとりに宿(やど)った時(とき)、遂(つい)に発(はっ)狂(きょう)した。
或(ある)夜(や)半(はん)、急(きゅう)に顔(かお)色(いろ)を変(か)えて寝(ね)床(どこ)から起(お)き上(あが)ると、何(なに)か訳(わけ)の分(わ)からぬことを叫(さけ)びつつそのまま下(した)にとび下(お)りて、闇(やみ)の中(なか)へ駈(かけ)出(だ)した。彼(かれ)は二(に)度(ど)と戻(もど)って来(こ)なかった。附(ふ)近(きん)の山(さん)野(や)を捜(そう)索(さく)しても、何(なん)の手(て)掛(がかり)りもない。その後(ご)李徴がどうなったかを知(し)る者(もの)は、誰(だれ)もなかった。
翌(よく)年(とし)、監(かん)察(さつ)御(ぎょ)史(し)、陳(ちん)郡(ぐん)の袁(えん)傪(さん)という者(もの)、勅(ちょく)命(めい)を奉(ほう)じて嶺(れい)南(なん)に使(つかい)し、途(みち)に商(しょう)於(お)の地(ち)に宿(やど)った。次(つぎ)の朝(あさ)未(ま)だ暗(くら)い中(うち)に出(しゅう)発(ぱつ)しようとしたところ、駅(えき)吏(り)が言(い)うことに、これから先(さき)の道(みち)に人(ひと)喰(くい)虎(どら)が出(で)る故(ゆえ)、旅(たび)人(びと)は白(はく)昼(ちゅう)でなければ、通(とお)れない。今(いま)はまだ朝(あさ)が早(はや)いから、今(いま)少(すこ)し待(ま)たれたが宜(よろ)しいでしょうと。袁傪は、しかし、供(とも)廻(まわ)りの多(た)勢(ぜい)なのを恃(たの)み、駅吏の言(こと)葉(ば)を斥(しりぞ)けて、出発した。