芥川龙之介:桃太郎(中日双语)(3)
桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途(みち)を急いだ。
三
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥(ごくらくちょう)の囀(さえず)ったりする、美しい天然(てんねん)の楽土(らくど)だった。こういう楽土に生(せい)を享(う)けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽(きょうらく)的に出来上った種族らしい。瘤(こぶ)取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師(いっすんぼうし)[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣(ものもう)での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山(おおえやま)の酒顛童子(しゅてんどうじ)や羅生門(らしょうもん)の茨木童子(いばらぎどうじ)は稀代(きだい)の悪人のように思われている。
しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路(すざくおおじ)を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露(あら)わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋(いわや)に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人(にょにん)を奪って行ったというのは――真偽(しんぎ)はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光(らいこう)や四天王(してんのう)はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家(すうはいか)ではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中(うち)に琴(こと)を弾(ひ)いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗(すこぶ)る安穏(あんのん)に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機(はた)を織ったり、酒を醸(かも)したり、蘭(らん)の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙(きば)の脱(ぬ)けた鬼の母はいつも孫の守(も)りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯(いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角(つの)の生(は)えない、生白(なまじろ)い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛(なまり)の粉(こ)をなすっているのだよ。それだけならばまだ好(い)いのだがね。男でも女でも同じように、はいうし、欲は深いし、焼餅(やきもち)は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒(どろぼう)はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
三
鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子(やし)の聳(そび)えたり、極楽鳥(ごくらくちょう)の囀(さえず)ったりする、美しい天然(てんねん)の楽土(らくど)だった。こういう楽土に生(せい)を享(う)けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽(きょうらく)的に出来上った種族らしい。瘤(こぶ)取りの話に出て来る鬼は一晩中踊りを踊っている。一寸法師(いっすんぼうし)[#ルビの「いっすんぼうし」は底本では「いっすんぽうし」]の話に出てくる鬼も一身の危険を顧みず、物詣(ものもう)での姫君に見とれていたらしい。なるほど大江山(おおえやま)の酒顛童子(しゅてんどうじ)や羅生門(らしょうもん)の茨木童子(いばらぎどうじ)は稀代(きだい)の悪人のように思われている。
しかし茨木童子などは我々の銀座を愛するように朱雀大路(すざくおおじ)を愛する余り、時々そっと羅生門へ姿を露(あら)わしたのではないであろうか? 酒顛童子も大江山の岩屋(いわや)に酒ばかり飲んでいたのは確かである。その女人(にょにん)を奪って行ったというのは――真偽(しんぎ)はしばらく問わないにもしろ、女人自身のいう所に過ぎない。女人自身のいう所をことごとく真実と認めるのは、――わたしはこの二十年来、こういう疑問を抱いている。あの頼光(らいこう)や四天王(してんのう)はいずれも多少気違いじみた女性崇拝家(すうはいか)ではなかったであろうか?
鬼は熱帯的風景の中(うち)に琴(こと)を弾(ひ)いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗(すこぶ)る安穏(あんのん)に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機(はた)を織ったり、酒を醸(かも)したり、蘭(らん)の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙(きば)の脱(ぬ)けた鬼の母はいつも孫の守(も)りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである。――
「お前たちも悪戯(いたずら)をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角(つの)の生(は)えない、生白(なまじろ)い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛(なまり)の粉(こ)をなすっているのだよ。それだけならばまだ好(い)いのだがね。男でも女でも同じように、はいうし、欲は深いし、焼餅(やきもち)は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒(どろぼう)はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」