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芥川龙之介:野吕宋木偶(双语)(2)

「これだけ、お客があっては、――さんも大よろこびだろう。」Kが僕に云った。――さんと云うのは、僕に招待状をくれた人の名である。
「あの人も、やはり人形を使うのかい。」
「うん、一番か二番は、習っているそうだ。」
「今日も使うかしら。」
「いや、使わないだろう。今日は、これでもこの道のお歴々(れきれき)が使うのだから。」
Kは、それから、いろいろ、野呂松人形の話をした。何でも、番組の数は、皆で七十何番とかあって、それに使う人形が二十幾つとかあると云うような事である。自分は、時々、六畳の座敷の正面に出来ている舞台の方を眺めながら、ぼんやりKの説明を聞いていた。
舞台と云うのは、高さ三尺ばかり、幅二間ばかりの金箔(きんぱく)を押した歩衝(ついたて)である。Kの説によると、これを「手摺(てす)り」と称するので、いつでも取壊せるように出来ていると云う。その左右へは、新しい三色緞子(さんしょくどんす)の几帳(きちょう)が下っている。後(うしろ)は、金屏風(きんびょうぶ)をたてまわしたものらしい。うす暗い中に、その歩衝(ついたて)と屏風との金が一重(ひとえ)、燻(いぶ)しをかけたように、重々しく夕闇を破っている。――僕は、この簡素な舞台を見て非常にいい心もちがした。
「人形には、男と女とあってね、男には、青頭とか、文字兵衛(もじべえ)とか、十内(じゅうない)とか、老僧とか云うのがある。」Kは弁じて倦まない。
「女にもいろいろありますか。」と英吉利人(イギリスじん)が云った。
「女には、朝日とか、照日(てるひ)とかね、それからおきね、悪婆(あくば)なんぞと云うのもあるそうだ。もっとも中で有名なのは、青頭でね。これは、元祖から、今の宗家へ伝来したのだと云うが……」
生憎(あいにく)、その内に、僕は小用(こよう)に行きたくなった。
――厠(かわや)から帰って見ると、もう電燈がついている。そうして、いつの間にか「手摺り」の後(うしろ)には、黒い紗(しゃ)の覆面をした人が一人、人形を持って立っている。
いよいよ、狂言が始まったのであろう。僕は、会釈(えしゃく)をしながら、ほかの客の間を通って、前に坐っていた所へ来て坐った。Kと日本服を来た英吉利人との間である。
舞台の人形は、藍色の素袍(すおう)に、立烏帽子(たてえぼし)をかけた大名である。「それがし、いまだ、誇る宝がござらぬによって、世に稀(まれ)なる宝を都へ求めにやろうと存ずる。」人形を使っている人が、こんな事を云った。語と云い、口調と云い、間狂言(あいきょうげん)を見るのと、大した変りはない。
やがて、大名が、「まず、与六(よろく)を呼び出して申しつけよう。やいやい与六あるか。」とか何とか云うと、「へえ」と答えながらもう一人、黒い紗で顔を隠した人が、太郎冠者(たろうかじゃ)のような人形を持って、左の三色緞子の中から、出て来た。これは、茶色の半上下(はんがみしも)に、無腰(むごし)と云う着附けである。
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