第一章 島を出た少年(7)
雨宿りが出来て、一晩過ごせそうな場所。そういう公園の東屋 [あずまや] やガード下の軒先には、しかし必ず先客がいた。僕は全財產の入った重いリュックを雨合羽 [あまガツパ] の下に背負い、もう二時間以上も街をさまよっている。長時間を過ごせて居心地の好 [よ] いデパートや本屋やCDショップは、夜九時を過ぎて既に閉まってしまっている。駅の構内も家電量販店も、壁際に座り込んでいたりするとすぐに警備員が声をかけてくる。だから僕はもう路上に居場所を見つける他になく、しかしそんな場所は一向に見つからず、かといって駅から離れすぎるのもなんだか不安で結局は同じ場所をぐるぐる廻 [まわ] ってしまっていて、だから派手な電飾の歌舞伎町 [かぶきちよう] のこのゲートをくぐるのももう四度目だ。いいかげん歩き疲れて足が痺 [しび] れている。
雨合羽の中が汗で蒸してものすごく不快だ。どうしようもなくお腹がすいている。
「君、ちょっといい?」
突然に肩を叩 [たた] かれ、振り返ると警官が立っていた。
「さっきもこの辺歩いてたよね」
「え……」
「こんな時間にどうしたの? 高校生?」
僕は青ざめる。
「ちょっと、待ちなさい!」
怒鳴り声が背中で聞こえる。考えるより先に足が駆け出していた。振り返らずに、僕は人混みを全力で走る。誰かいぶつかるたびに罵声が飛ぶ。痛 [い] てえな!ふざけんなよ! こら持てガキ! 巨大な映画館の脇を駆け抜け、ほとんど本能的に街灯りのすくない場所を目指す。しだいに人の声が遠のいていく。
カラン。うずくまっていた僕は、空き缶の転がるかすかな物音に顔を上げた。
薄い暗闇の中で、緑色の丸い目が光っている。痩 [や] せこけて毛並みすみすぼらしい、まだ仔猫 [こ ねこ] だ。そこは表通りからはすこし奥まった場所にある、軒の低い長屋風のビルだった。灯りの消えた飲食店がいくつも並んでいてそれぞれ入り口にドアはなく、僕はそのうちの一つの狭いエントランスに座り込んでいたのだ。いつの間にかうとうとと眠り込んでいた。
「猫、おいで」
小さく囁 [ささや] くと、にゃーと掠 [かす] れた返事があった。なんだか久しぶりに誰かとまっとうな会話をしたみたいで、それだけで鼻の奥がつんとなった。僕はポケットから最後のカロリーメイトを取り出し、半分に割って仔猫に差し出した。仔猫は鼻先を突き出し、匂いを確かめてくる。床に置くと、まるでお礼を言うように僕を短く見つめてから、がつがつと食べ始めた。夜から切り出したみたいに真っ黒な猫だった。鼻の周りと足先だけが、マスクをして靴下を穿 [は] いているように白い。仔猫を眺めながら僕も残りのカロリーメイトを口の中に入れ、ゆっくりと噛 [か] む。
雨合羽の中が汗で蒸してものすごく不快だ。どうしようもなくお腹がすいている。
「君、ちょっといい?」
突然に肩を叩 [たた] かれ、振り返ると警官が立っていた。
「さっきもこの辺歩いてたよね」
「え……」
「こんな時間にどうしたの? 高校生?」
僕は青ざめる。
「ちょっと、待ちなさい!」
怒鳴り声が背中で聞こえる。考えるより先に足が駆け出していた。振り返らずに、僕は人混みを全力で走る。誰かいぶつかるたびに罵声が飛ぶ。痛 [い] てえな!ふざけんなよ! こら持てガキ! 巨大な映画館の脇を駆け抜け、ほとんど本能的に街灯りのすくない場所を目指す。しだいに人の声が遠のいていく。
カラン。うずくまっていた僕は、空き缶の転がるかすかな物音に顔を上げた。
薄い暗闇の中で、緑色の丸い目が光っている。痩 [や] せこけて毛並みすみすぼらしい、まだ仔猫 [こ ねこ] だ。そこは表通りからはすこし奥まった場所にある、軒の低い長屋風のビルだった。灯りの消えた飲食店がいくつも並んでいてそれぞれ入り口にドアはなく、僕はそのうちの一つの狭いエントランスに座り込んでいたのだ。いつの間にかうとうとと眠り込んでいた。
「猫、おいで」
小さく囁 [ささや] くと、にゃーと掠 [かす] れた返事があった。なんだか久しぶりに誰かとまっとうな会話をしたみたいで、それだけで鼻の奥がつんとなった。僕はポケットから最後のカロリーメイトを取り出し、半分に割って仔猫に差し出した。仔猫は鼻先を突き出し、匂いを確かめてくる。床に置くと、まるでお礼を言うように僕を短く見つめてから、がつがつと食べ始めた。夜から切り出したみたいに真っ黒な猫だった。鼻の周りと足先だけが、マスクをして靴下を穿 [は] いているように白い。仔猫を眺めながら僕も残りのカロリーメイトを口の中に入れ、ゆっくりと噛 [か] む。