【日本历史】——《世界遗产军舰岛》
日本有数の海底炭坑で知られる「軍艦島」は、長崎港の西南約19km沖合にあります。正式名称は「端島(はしま)」で、面積約6ヘクタール、480m×160mの非常に小さな島です。
江戸時代から石炭の存在は知られていましたが、度重なる台風によって開発は難航。
明治20年(1887年)、第1竪坑の開削が始まり、その3年後、三菱(岩崎弥之助)が10万円で購入し、炭鉱としての歴史が始まります。
明治30年(1897年)、端島には3つの竪坑があり、約1000人の坑夫が働いていました。
当時、端島では「納屋(なや)制度(または飯場制度)」と呼ばれる労務管理制度が敷かれていました。坑夫を飯場とよばれる宿舎に住まわせ、厳しく生活管理していたのです。
納屋制度は、しばしば「過酷な労働」の代名詞のように言われますが、実態はどうだったのか。