金色之死 (谷崎润一郎) 上(8)
或る時は黒縮緬の紋附に小紋の石持こくもちの綿入を着て、わざと鉄の附いた雪駄をちゃら/\と鳴らしながら穿いて見たり、或る時は粗い黄八丈の対ついの衣裳に白博多の角帯を締めたり、そう云う場合にはいつも帽子を被らず、長く伸ばして漆のような鬢髪びんぱつを風に吹かせて、六尺近い偉大な体躯をゆらり/\と運ばせる様子が、いかにも立派で堂々として聊か下品でも滑稽でもなく、往来の人は皆振り顧って驚嘆の目を放ちました。其頃彼は月に五六度ずつ美顔術師の許に通って、頻りと化粧に浮身を窶し、外出する時は常に水白粉をほんのり着けて、唇に薄紅さえさして居ましたが、もともと容貌が美しかったので、そんな真似をして居ようとは、誰も気が着きませんでした。
「僕はいつ何時なんどきでも自分の姿は絵になって居ると信じて居る。」
こう彼は傲語して居ました。あのような服装をして其れが少しも突飛に思われないのは、全く岡村君の気品の然らしむる所で、到底他人の企及し難い事であると、私も密に感服しました。況んや岡村君の遊びに行く新橋や柳橋や赤坂辺の芸者達が、盛んに彼を崇拝したのも無理のない話です。