金色之死 (谷崎润一郎) 上(7)
「金の有るのは勿論仕合せだが、どうかすると却って不仕合せな結果になるよ。富と云うものは知らず識らず人間の魂を堕落させて了うからね。」
と云いました。
「そんな心配はないよ。金持ちが堕落するのは、その財産を更に殖やそうとして実業に従事する時だけさ。金の有る奴は、働かないで遊んでさえ居れば常に仕合せなんだ。」
こう答えて、彼は格別気にも留めない様子でした。
五
中学を卒業した年の夏、私は首尾よく東京の第一高等学校へ入学する事が出来ました。然るに岡村君はあまり数学が出来ないので、入学試験にとうとう失敗して了いました。尤も、地方の高等学校なら這入れたのかも知れませんが、彼は東京の地を一寸いっすんも離れるのが嫌だと云って、甘んじて落第して了ったのです。
「何も急ぐ事はないのだから、来年亦試験を受ける。今年一年は死んだ気になって少うし数学を勉強しよう。」
彼はこう云ってさ程落胆した気色もなく、その後当分毎日二三時間ずつ、幾何や代数を練習して居る様子でした。
「君なんぞは一層西洋へ留学に行ったらいゝじゃないか。」私がこんな忠告をすると、「そりゃ行きたい事は非常に行きたいんだが、どうしても伯父が許してくれない。伯父の生きて居る間はまあ駄目だろう。」
と云って居ました。
厳重な中学の校則に縛られて居てさえ、人並外れた贅沢をする岡村君の事ですから、学校生活から関係を絶った一年間の彼の風采や態度と云うものは、殆ど華美の極点に達して、素晴らしい変化を来しました。今迄和服と云うものをあまり好まなかった彼は、俄に派手な縞柄の羽織や着物を沢山に拵えて、それを代る代る着て歩くようになりました。
「一体現代の日本の男子の服装ふくそうは地味過ぎて居る。西洋人は勿論支那人にしろ印度人にしろ、男子の服装がいかにも鮮明な色彩と曲線に富んで居て、日本画にも油絵にも画く事が出来るけれど、日本の男の服装と来たら、到底絵にも何にもならない。こんな非芸術的な衣類を着る位なら、未だしも裸で居る方が遥に美しい。日本でも徳川の初期時代には、男女の衣裳に区別がない程一般に派手好みの服装が流行して居たのだ。唐桟とうざんを喜んだり、結城ゆうきを渋がったりするのは、幕末頃の因循な町人趣味を受け継いで居るんだ。現代の日本人は宜しく慶長元禄時分の、伊達だて寛濶かんかつな昔の姿に復らなければいけない。」―――岡村君は斯う云う意見を主張して極端に陥らない範囲で、成る可く女柄の反物を仕立てさせては其れを着込んで歩いて居ました。