金色之死 (谷崎润一郎) 上(10)
「それじゃ君はミルトンをえらいとは思わないんだね。」
「思わないさ。尤もホーマーは特別だが、果して彼が盲目であったかどうかは疑問の余地があるようだ。」
岡村君のレッシングを攻撃する事は非常なもので、ラオコオンの彼方此方のページを開いては、完膚なき迄に罵倒するのです。
「………夫から此処にこんな事が書いてあるだろう。――― Achilles ergrimmt, und ohne ein Wort zu versetzen, schl※(ダイエレシス付きA小文字)gt er ihn so unsanft zwischen Back' und Ohr, dass ihm Z※(ダイエレシス付きA小文字)hne, und Blut und Seele mit eins aus dem Halse st※(ダイエレシス付きU小文字)rzen. Zu grausam! Der jachzornige m※(ダイエレシス付きO小文字)rderische Achilles wird mir verhasster, als der t※(ダイエレシス付きU小文字)ckische knurrende Thersites ; …
………………………………………………………… denn ich empfinde es, dass Thersites auch mein Anverwandter ist, ein Mensch. ―――此はテルシテスがアキレスの為に殺される光景を評したのだが、耳と頬の間を粉微塵に打ち砕かれ、傷口から歯が飛び出したり血が流れたりする有様があまり残酷で、今迄テルシテスに対して抱いて居た滑稽の感じが消滅して了う。寧ろ斯かる残虐の殺人を敢てしたアキレスの方が憎らしくなる。いかに容貌醜悪なテルシテスと雖も、我々と同じ人間である以上、憐愍の情を起さずには居られないと云う議論なんだ。けれども僕の考えでは、滑稽な人物は何処迄も滑稽で、奇怪な死に様をすればする程猶更面白い気がするじゃないか。生きて居てさえ可笑しなテルシテスの顔が滅茶々々に叩き潰されて血だらけになって蠢いて居る所を想像すると、実際滑稽に思われるじゃないか。
文学を批評しながら道徳的の感情に支配されて、アキレスが憎らしいなどゝ云うのは馬鹿な話だ。」
「君の説く所はどうも少し病的のようだ。仮りにそのような残酷な描写が詩でなくって絵に画かれたと想像して見給え。君はそんな絵を見てもやっぱり滑稽を感じるのかね。」