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金色之死 (谷崎润一郎) 上(5)

2023-06-27 来源:百合文库
其の晩彼は私を捕まえて、芸術と体育との関係を滔々と論じて聞かせました。苟くも欧洲芸術の淵源たる希臘的精神の真髄を会得したものは、体育の如何に大切であるかを感ぜずには居られない。凡ての文学と凡ての芸術とは、悉く人間の肉体美から始まるのだと彼は云いました。肉体を軽んずる国民は、遂に偉大なる芸術を生む事が出来ない。―――斯くの如き見地から、彼は自分の機械体操を名づけて、希臘的訓練と称しました。此の訓練を経ない間は、如何なる天才も到底真の芸術家たり得る資格がないとさえ極言しました。私は彼の説を一応尤もだと思い、自分の体育を軽蔑したのは僻見であると悟りましたが、さりとて全然彼の肉体万能説に左袒する訳には行きませんでした。寧ろ彼の言葉は聊か奇矯に過ぎるだろうと考えました。
「肉体よりも思想が第一だ。偉大なる思想がなければ、偉大なる芸術は生れないのだ。」
私はこんな事を云って、岡村君に反対した事を覚えて居ます。

そう云う塩梅でだん/\年を経るに随い、岡村君と私とは同じ芸術に志しながら、同じ途を歩む事が出来ないように傾いて来ました。けれども二人が同一の人間でない限り、そうなるのは勿論自然の成り行きかも知れませんが、悲しい事に変化は二人の思想ばかりでなく、やがて二人の境遇に迄も及んで来たのです。

金色之死 (谷崎润一郎) 上


私の家は既に二三年も前から兎角営業不振に陥り、多くもあらぬ動産不動産は追い/\人手に渡って、到底此の儘店を維持する事は困難になって居ました。然るに私が中学を卒業する半歳ばかり前に、突然父は死んで了ったのです。島田家の総領息子たる私は、一人の母と三人の弟妹とを抱えて、此先如何にして一家を支えて行こうかと案じ煩いました。父が遺して行った諸種の負債を整理して見ると、私等母子の手に剰された遺産と云うものは、僅二千円足らずの株券があるばかりでした。結局私は将来の希望を取換えて、工科をやるか、医科をやるか、せめて法科にでも入学するように親類から奨められましたが、私は頑として承知しませんでした。「どうしても文学をやり通したい。昔のような贅沢は出来ないまでも、一家の者に決して不自由はさせないから是非芸術家として身を立てたい。
」こう云って、私はます/\その志を強固にしたのです。
私の一家が此のような窮境に陥った間に、岡村君の財産は貧乏揺ぎもしませんでした。彼の資産は普通一遍の打撃ぐらいで破壊されるにはあまりに大き過ぎたのです。法律が許して居る年齢に達したならば、彼は一日も早く伯父の監督を離れて、自分の全財産を自由に支配して見たいと云う事を、度び度び私に話しました。「自分は富豪の一人息子だ。尨大な資産と、強壮な肉体と、優美な容貌と、若い年齢との完全な所有者だ。」―――こう云う自覚が、既に十分彼の胸中に往来して居ました。いつの間にか彼は恐ろしく傲慢になり、お洒落になり、我が儘になりました。中学生の癖に髪を分けたり、金時計を持ったり、葉巻を吸ったり、甚だしきは金剛石の指輪を篏めたりして見せました。五年生の岡村と云えば、校内誰一人として知らぬ者のない憎まれっ子になって了い、生徒も憎めば先生も憎み、友達は愚か近づく人もないくらいで、唯私だけが親密にして居ました。
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