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「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本(8)

もう母屋おもやでは、御両親をはじめ召使達も、とっくに床についておりました。田舎いなか町の広い屋敷のことでございますから、まだ十時頃というのに、しんと静まり返って、蔵まで参りますのに、真っ暗なしげみを通るのが、こわい様でございました。その道が又、御天気でもじめじめした様な地面で、しげみの中には、大きな蝦蟇がまが住んでいて、グルルル……グルルル……といやな鳴き声さえ立てるのでございましょう。それをやっと辛抱しんぼうして、蔵の中へたどりついても、そこも同じ様に真っ暗で、樟脳しょうのうのほのかな薫かおりに混って、冷い、かび臭い蔵特有の一種の匂いが、ゾーッと身を包むのでございます。もし心の中に嫉妬の火が燃えていなかったら、十九の小娘に、どうまああの様な真似が出来ましょう。本当に恋ほど恐しいものはございませんわね。
闇の中を手探りで、二階への階段まで近づき、そっと上を覗いて見ますと、暗いのも道理、梯子段はしごだんを上のぼった所の落し戸が、ピッタリ締しまっているのでございます。私は息を殺して、一段一段と音のせぬ様に注意しながら、やっとのことで梯子の上まで昇り、ソッと落し戸を押し試みて見ましたが、門野の用心深いことには、上から締りをして、開かぬ様になっているではございませんか。ただ御本を読むのなら、何も錠まで卸おろさなくてもと、そんな一寸したことまでが、気懸きがかりの種になるのでございます。

「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本


 どうしようかしら。ここを叩たたいて開けて頂こうかしら。いやいや、この夜更けに、そんなことをしたなら、はしたない心の内を見すかされ、猶更なおさら疎うとんじられはしないかしら。でも、この様な、蛇の生殺しの様な状態が、いつまでも続くのだったら、とても私には耐えられない。一そ思い切って、ここを開けて頂いて、母屋から離れた蔵の中を幸いに、今夜こそ、日頃の疑いを夫の前にさらけ出して、あの人の本当の心持を聞いて見ようかしら。などと、とつおいつ思い惑って、落し戸の下に佇たたずんでいました時、丁度その時、実に恐ろしいことが起こったのでございます。

 その晩、どうして私が蔵の中へなど参ったのでございましょう。夜更けに蔵の二階で、何事のあろう筈もないことは、常識で考えても分りそうなものですのに、ほんとうに馬鹿馬鹿しい様な、疑心暗鬼ぎしんあんきから、ついそこへ参ったというのは、理窟りくつでは説明の出来ない、何かの感応があったのでございましょうか。俗にいう虫の知らせでもあったのでございましょうか。この世には、時々常識では判断のつかない様な、意外なことが起るものでございます。その時、私は蔵の二階から、ひそひそ話ばなしの声を、それも男女二人の話声はなしごえを、洩れ聞いたのでございました。男の声はいうまでもなく門野のでしたが、相手の女は一体全体何者でございましょうか。
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