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「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本(7)

何となく凄い様な、いうにいわれない感じに打たれることが屡々しばしばなのでございます。土蔵だけは、お嫁入りの当時、一巡ひとまわり中を見せて貰いましたのと時候の変り目に一二度入ったばかりで、たとえ、そこへ門野がとじ籠っていましても、まさか、蔵の中に私をうとうとしくする原因がひそんでいようとも考えられませんので、別段、あとをつけて見たこともなく、従って蔵の二階だけが、これまで、私の監視を脱のがれていたのでございますが、それをすら、今は疑いの目を以もって見なければならなくなったのでございます。
 お嫁入りをしましたのが春の半なかば、夫に疑いを抱き始めましたのがその秋の丁度名月時分でございました。今でも不思議に覚えていますのは、門野が縁側に向うむきに蹲うずくまって、青白い月光に洗われながら、長い間じっと物思いに耽っていた、あのうしろ姿、それを見て、どういう訳か、妙に胸を打たれましたのが、あの疑惑のきっかけになったのでございます。それから、やがてその疑いが深まって行き、遂には、あさましくも、門野のあとをつけて、土蔵の中へ入るまでになったのが、その秋の終りのことでございました。

「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本


 何というはかない縁えにしでありましょう。あの様にも私を有頂天にさせた、夫の深い愛情が(先にも申す通り、それは決して本当の愛情ではなかったのですけれど)たった半年の間にさめてしまって、私は今度は玉手箱をあけた浦島太郎の様に、生れて初めての陶酔境から、ハッと眼覚めると、そこには恐しい疑惑と嫉妬しっとの、無限むげん地獄が口を開いて待っていたのでございます。
 でも最初は、土蔵の中が怪しいなどとハッキリ考えていた訳ではなく、疑惑に責められるまま、たった一人の時の夫の姿を垣間見て、出来るならば迷いを晴らしたい、どうかそこに私を安心させる様なものがあってくれます様にと祈りながら、一方ではその様な泥坊じみた行いが恐しく、といって一度思い立ったことを、今更中止するのは、どうにも心残りなままに、ある晩のこと、袷あわせ一枚ではもう肌寒い位で、この頃まで庭に鳴きしきっていました、秋の虫共も、いつか声をひそめ、それに丁度闇夜で、庭下駄にわげたで土蔵への道々、空をながめますと、星は綺麗でしたけれど、それが非常に遠く感じられ、不思議と物淋ものさびしい晩のことでありましたが、私はとうとう、土蔵へ忍びこんで、そこの二階にいる筈の夫の隙見すきみを企くわだてたのでございます。

「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本


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