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「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本(5)

それが決して、だましてやろうという様な心持ではなかったのですから、あの人が努力すればするほど、私はそれを真まに受けて、真しんから手頼たよって行く、身も心も投げ出してすがりついて行く、という訳でございました。ではなぜ、あの人がそんな努力をしましたか、尤もこれらのことは、ずっとずっと後あとになって、やっと気づいたのではありますけれど、それには、実に恐ろしい理由があったのでございます。

「変だな」と気がついたのは、御婚礼から丁度半年ほどたった時分でございました。今から思えば、あの時、門野の力が、私を可愛がろうとする努力が、いたましくも尽きはててしまったものに相違ありません。その隙すきに乗じて、もう一つの魅力が、グングンとあの人を、そちらの方へひっぱり出したのでございましょう。
 男の愛というものが、どの様なものであるか、小娘の私が知ろう筈はずはありません。門野の様な愛し方こそ、すべての男の、いいえ、どの男にも勝まさった愛し方に相違ないと、長い間信じ切っていたのでございます。ところが、これほど信じ切っていた私でも、やがて、少しずつ少しずつ、門野の愛に何とやら偽いつわりの分子を含むことを、感づき初はじめないではいられませんでした。……………………そのエクスタシイは形の上に過ぎなくて、心では、何か遙はるかなものを追っている、妙に冷い空虚を感じたのでございます。私を眺める愛撫のまなざしの奥には、もう一つの冷い目が、遠くの方を凝視しているのでございます。愛の言葉を囁ささやいてくれます、あの人の声音こわねすら、何とやらうつろで、機械仕掛の声の様にも思われるのでございます。でも、まさか、その愛情が最初から総すべて偽りであったなどとは、当時の私には思いも及ばぬことでした。

「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本


これはきっと、あの人の愛が私から離れて、どこかの人に移りはじめたしるしではあるまいか、そんな風に疑うたぐって見るのが、やっとだったのでございます。
 疑いというものの癖くせとして、一度そうしてきざしが現れますと、丁度夕立雲が広がる時の様な、恐しい早さでもって、相手の一挙一動、どんな微細な点までも、それが私の心一杯に、深い深い疑惑の雲となって、群むらがり立つのでございます。あの時の御言葉の裏にはきっとこういう意味を含んでいたに相違ない。いつやらの御不在は、あれは一体どこへいらしったのであろう。こんなこともあった、あんなこともあったと、疑い出しますと際限がなく、よく申す、足の下の地面が、突然なくなって、そこへ大きな真暗な空洞が開けて、はて知れぬ地獄へ吸い込まれて行く感じなのでございます。
 ところが、それほどの疑惑にも拘かかわらず、私は何一つ、疑い以上の、ハッキリしたものを掴つかむことは出来ないのでございました。門野が家うちをあけると申しましても、極く僅わずかの間で、それが大抵たいていは行先ゆきさきが知れているのですし、日記帳だとか手紙類、写真までも、こっそり調べて見ましても、あの人の心持を確め得る様な跡は、少しも見つかりはしないのでございます。ひょっとしたら、娘心のあさはかにも、根もないことを疑って、無駄な苦労を求めているのではないかしら、幾度か、そんな風に反省して見ましても、一度根を張った疑惑は、どう解こうすべもなく、ともすれば、私の存在をさえ忘れ果てた形で、ぼんやりと一つ所を見つめて、物思いに耽ふけっているあの人の姿を見るにつけ、やっぱり何かあるに相違ない、きっときっと、それに極きまっている。
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