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「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本(12)

 そして、ある晩のことでございました。私はふと妙なことに気づいたのでございます。それは、蔵の二階で、門野達のいつものおう瀬が済みまして、門野がいざ二階を下りるという時に、パタンと軽く、何かの蓋ふたのしまる音がして、それから、カチカチと錠前でも卸すらしい気勢がしたのでございます。よく考えて見れば、この物音は、ごく幽かではありましたが、いつの晩にも必ず聞いた様に思われるのでございます。蔵の二階でそのような音を立てるものは、そこに幾つも並んでいます長持ながもちの外ほかにはありません。さては相手の女は長持の中に隠れているのではないかしら。生きた人間なれば、食事も摂とらなければならず、第一、息苦しい長持の中に、そんな長い間忍んでいられよう道理はない筈ですけれど、なぜか、私には、それがもう間違いのない事実の様に思われて来るのでございます。
そこへ気がつきますと、もうじっとしてはいられません。どうかして、長持の鍵を盗み出して、長持の蓋をあけて、相手の女奴を見てやらないでは気が済まぬのでございます。なあに、いざとなったら、くいついてでも、ひっ掻いてでも、あんな女に負けてなるものか、もうその女が長持の中に隠れているときまりでもした様に、私は歯ぎしりを噛んで、夜のあけるのを待ったものでございます。

「人でなしの恋」(青空文库版)索尼YOMIBITO有声书文本


 その翌日、門野の手文庫から鍵を盗み出すことは、案外易々やすやすと成功いたしました。その時分には、私はもうまるで夢中ではありましたけれど、それでも、十九の小娘にしましては、身に余る大仕事でございました。それまでとても、眠られぬ夜が続き、さぞかし顔色も青ざめ、身体からだも痩やせ細っていたことでありましょう。幸い御両親とは離れた部屋に起おき伏ふししていましたのと、夫の門野は、あの人自身のことで夢中になっていましたのとで、その半月ばかりの間を、怪しまれもせず過ごすことが出来たのでございます。さて、鍵を持って、昼間でも薄暗い、冷たい土の匂いのする、土蔵の中へ忍び込んだ時の気持、それがまあ、どんなでございましたか。よくまああの様な真似が出来たものだと、今思えば、一そ不思議な気もするのでございます。
 ところが鍵を盗み出す前でしたか、それとも蔵の二階へ上あがりながらでありましたか、千々ちぢに乱れる心の中うちで、わたしはふと滑稽なことを考えたものでございます。どうでもよいことではありますけれど、ついでに申上げて置きましょうか。それは、先日からのあの話声は、もしや門野が独ひとりで、声色こわいろを使っていたのではないかという疑いでございました。まるで落し話の様な想像ではありますが、例えば小説を書きますためとか、お芝居を演じますためとかに、人に聞えない蔵の二階で、そっとせりふのやり取りを稽古けいこしていらしったのではあるまいか、そして、長持の中には女なぞではなくて、ひょっとしたら、芝居の衣裳でも隠してあるのではないか、という途方もない疑いでございました。ほほほほほほ、私はもうのぼせ上っていたのでございますわね。
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