第一章 島を出た少年(2)
「また雨だって」
「ようやく晴れたのになあ」
「最近の夏はヤバイよね、雨ばっかで」
「島でもずっと台風だったしねえ」
皆口々に愚痴っている。僕は「すみません」と頭を下げながら、狭い通路を人の流れに逆らって歩く。
最後の階段を登りデッキテラスに顔を出すと、強い風が顔を打った。既に誰もおらず、広々とした甲板は陽光に輝いている。その真ん中には、白く塗られたポールが空を指す矢印のように立っている。僕はわくわくした気分で、誰もいない甲板を歩く。空を見上げると、灰色の雲がみるみる青空を埋め尽くしていくところだった。――ぴちょん。雨粒が僕の額に落ちた。
「……来た!」
思わず僕は叫んだ。空から一斉に落ちてくる無数の雨粒が目に入り、その直後、ドドッという轟音 [ごうおん] とともに大粒の雨が降りそそいだ。さっきまで陽に輝いていた世界が、あっという間に水墨画のモノトーンに塗りつぶされていく。
「すっげえー!」
大声も雨の轟音にかき消されて、自分の耳にすら届かない。僕はますます嬉[うれ]しくなる。髮も服も重く濡 [ぬ] れていく。肺の中まで湿気で満たされていく。僕は思わず駆け出す。空をヘディングするように思いきりジャンプする。渦を作るように両手を広げてぐるぐると回転してみる。囗を大きく開けて雨を飲む。めちゃくちゃに走り回りながら、今ま心の中に閉じ込めていた言葉たちを全身全霊の大声で叫びまくる。それらの全部が雨に洗い流されて、誰にも見られず、誰にも聞かれない。胸に熱いかたまりが湧き上がる。密 [ひそ] かに島を出てから半日、僕はようやく心からの解放感に満たされていく。弾む息で雨を見上げる。
――その時僕の頭上にあったものは、雨というよりは大量の水だった。
目を疑った。巨大なプールを逆さにしたようなものすごい量の水が、空から落ちてくる。それはとぐろを巻く――まるで龍 [りゆう] だ。そう思った直後、ドンッという激しい衝撃で僕は甲板に叩きつけられた。滝壺 [たきつぼ] の下にいるかのように、背中が重い水に叩かれ続ける。フェリーが軋 [きし] んだ音を立てながら大きく摇れる。やばい! そう思った時には、僕の体は甲板を滑り落ちていた。フェリーの傾きが増していく。滑りながら僕は手を伸ばす。どこかを摑 [つか] もうとする。でもそんな場所はどこにもない。だめだ、落ちる――その瞬間、誰かに手首を摑まれた。がくん、と体が止まる。フェリーの傾きが、ゆっくりと元に戻っていく。
「あ……」僕は我に返る。
「ありがとうございます……」
まるでアクション映画みたいなぎりぎりのタイミングだった。僕は手首の先に視線を上げた。無精髭 [ぶしようひげ] を生やしてひょろりと背の高い、中年の男性だった。男性は薄く笑いながら、僕の手を離す。太陽が再び顔を出し、男性の赤いワイシャツを眩 [まぶ] しく照らした。まあなんでもいいんだけどさ、というようなどこか投げやりな囗調で、
「ようやく晴れたのになあ」
「最近の夏はヤバイよね、雨ばっかで」
「島でもずっと台風だったしねえ」
皆口々に愚痴っている。僕は「すみません」と頭を下げながら、狭い通路を人の流れに逆らって歩く。
最後の階段を登りデッキテラスに顔を出すと、強い風が顔を打った。既に誰もおらず、広々とした甲板は陽光に輝いている。その真ん中には、白く塗られたポールが空を指す矢印のように立っている。僕はわくわくした気分で、誰もいない甲板を歩く。空を見上げると、灰色の雲がみるみる青空を埋め尽くしていくところだった。――ぴちょん。雨粒が僕の額に落ちた。
「……来た!」
思わず僕は叫んだ。空から一斉に落ちてくる無数の雨粒が目に入り、その直後、ドドッという轟音 [ごうおん] とともに大粒の雨が降りそそいだ。さっきまで陽に輝いていた世界が、あっという間に水墨画のモノトーンに塗りつぶされていく。
「すっげえー!」
大声も雨の轟音にかき消されて、自分の耳にすら届かない。僕はますます嬉[うれ]しくなる。髮も服も重く濡 [ぬ] れていく。肺の中まで湿気で満たされていく。僕は思わず駆け出す。空をヘディングするように思いきりジャンプする。渦を作るように両手を広げてぐるぐると回転してみる。囗を大きく開けて雨を飲む。めちゃくちゃに走り回りながら、今ま心の中に閉じ込めていた言葉たちを全身全霊の大声で叫びまくる。それらの全部が雨に洗い流されて、誰にも見られず、誰にも聞かれない。胸に熱いかたまりが湧き上がる。密 [ひそ] かに島を出てから半日、僕はようやく心からの解放感に満たされていく。弾む息で雨を見上げる。
――その時僕の頭上にあったものは、雨というよりは大量の水だった。
目を疑った。巨大なプールを逆さにしたようなものすごい量の水が、空から落ちてくる。それはとぐろを巻く――まるで龍 [りゆう] だ。そう思った直後、ドンッという激しい衝撃で僕は甲板に叩きつけられた。滝壺 [たきつぼ] の下にいるかのように、背中が重い水に叩かれ続ける。フェリーが軋 [きし] んだ音を立てながら大きく摇れる。やばい! そう思った時には、僕の体は甲板を滑り落ちていた。フェリーの傾きが増していく。滑りながら僕は手を伸ばす。どこかを摑 [つか] もうとする。でもそんな場所はどこにもない。だめだ、落ちる――その瞬間、誰かに手首を摑まれた。がくん、と体が止まる。フェリーの傾きが、ゆっくりと元に戻っていく。
「あ……」僕は我に返る。
「ありがとうございます……」
まるでアクション映画みたいなぎりぎりのタイミングだった。僕は手首の先に視線を上げた。無精髭 [ぶしようひげ] を生やしてひょろりと背の高い、中年の男性だった。男性は薄く笑いながら、僕の手を離す。太陽が再び顔を出し、男性の赤いワイシャツを眩 [まぶ] しく照らした。まあなんでもいいんだけどさ、というようなどこか投げやりな囗調で、