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序章 君に聞いた物語(6)

突然、指先になにかが触れた。驚いて手を見る。やはり魚だ。透明な体を持つ小さな魚たちが、重さのある風のように指や髮をすり抜けている。長いひれをなびかせているものや、くらげのように丸いものや、メダカのように細かなもの。樣々な姿形の魚たちは、太陽の光を透かしてプリズムみたいに輝いている。気づけば彼女は空の魚に囲まれている。
空の青と、雲の白と、さざめく緑と、七色に輝く魚たち。彼女がいるのは、聞いたことも想像したこともない不思議で美しい空の世界だった。やがて彼女の足元を覆っていた雨雲がほどけるように消えていき、眼下にはどこまでも広がる東京の街並みが姿を現した。ビルの一つひとつ、車の一台いちだい、窓ガラスの一枚いちまいが、太陽を浴びて誇らしげに光っている。雨に洗われて生まれ変わったようなその街に、彼女は風に乗ってゆっくりと落ちていく。しだいに、不思議な一体感が全身に満ちてくる。自分がこの世界の一部であることが、ことば以前の感覚として彼女にはただ分かる。自分は風であり水であり、青であり白であり、心であり願いである。奇妙な幸せと切なさが全身に広がっていく。そしてゆっくりと、深く布団に沈みこむように意識が消えていく――。

序章   君に聞いた物語


* * *
「あの景色。あの時私が見たものは全部夢だったのかもしれないけど――」と、かつて彼女は僕に語った。
でも、夢ではなかったのだ。僕たちは今ではそれを知っているし、僕たちはその後、ともに同じ景色を目の当たりにすることになる。誰も知らない空の世界を。
彼女とともに過ごした、あの年の夏。
東京の空の上で僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったのだ。
~完~


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