《夏秋表》 立原道造 (自译)(3)
在信浓路的乡下,我兴致勃勃地向田中一三介绍了一朵花。有着五片淡黄色的花瓣,像山百合一般,但却不如其张扬,反而是以一种内敛与清秀,生长在离夕阳最近的那片高原草丛中。是朵从初夏到仲夏,将绽放自己视作日常本分的花。不知从谁那里知道了这是叫作黄萱的花。之后,又从学习植物的人那里知道了,这又可被称作萱草、忘忧草、黄花菜。不久还知道了它的花瓣竟然可以食用。我便将我刚学到的,一同告诉给了田中一三。
きょう私は最初にその花を教えてくれたひとに向って愚痴を繰返すことを情ない慰さめとして持っている。この誹謗もまたその輪のほかを出られない。恥を知るまえに、ただ私はさびしい。私はいまもあんなにありありと心に帰るあの高原のイメージのために頬を濡らした。
埋怨最初告诉我这朵花的人,只是一种没出息的自我安慰。这些诽谤也是出于这样的心情。在感到羞耻之前,我只是很孤单而已。直到现在,我仍然会为了那历历在目的,可以成为我心灵故土的高原景象而泪流满面。
夏の逝くころ、私はゆえもなく紀の国の外側の輪廓を海岸や浪の上を辿りいちばん慌しくめぐった。信濃路ではすでにそのころ秋雨のようなものが降っていたのに、私のめぐった線は明るく白じらしく晴れていた。帰るさ、私は伊良湖岬に杉浦明平を訪ねた。すると、杉浦明平が僕にゆうすげの花を岩かげに教えるような運命になっていた。信濃路を別れて十日あまり、明るい海光に曝されつづけた私の眼に、おなじ名の花とおもえない、みすぼらしいみじめな花の姿が強いられた。田中一三に私が教えたようには杉浦明平が私に教えるわけはなかった。その花は橙色に近い黄の花びらを一枚一枚ずうずうしい位に厚ぼったくふくらませ、一茎に幾花もむらがっていた。