《夏秋表》 立原道造 (自译)(2)
やがて夏も逝き、秋も定まった一日、私はふたたび先生の庭に客となった。そのとき先生は虫籠を示され、その虫を草ひばりと教えられ、その姿に「仄か」という言葉で註せられることを怠られなかった。座には高名な抒情の小説をものされる人が居あわせ、先生のその紹介も実はその小説家に向いてであったのだが、私はそれを盗んだ。夜に入って、それがその年の夏のおわりの一夜となったのだが、私は先生の書斎じゅうにせいいっぱいの魂を傾けつくしてうたい上げる草ひばりの唄を聞いた。私のもっとも潤沢のこの一刻に、私は、忘れていた春蝉のことを思い出し、この虫とあれと考え比べた。比べずともよい啼き声だったのである。草ひばりの声は、純粋な白金で造られた精巧な楽器を稚拙な幼童がもてあそんでいるような、ぎりぎりのイロニイであった。これをイロニイと聞いたのは私の歪みであったとおもうゆえ、私はそのことにひとつも触れず、そっと耳ばかりで彼の透明なうたい口を噛みしめていたのである。
最终夏日逝去,秋日到来的那一天,我再次去到老师的庭院里做客。老师展示了他的虫笼,告诉我们这种虫叫草黄莺,并直截了当地以“朦胧”一词来形容他。在座有着德高望重的抒情小说作家,老师这番介绍的对象是他们,而我不过是偷听来的。待到入夜,在今年夏天最后一个夜晚,我从老师的书斋中听见了蟋蟀那倾尽全力的、发自灵魂的高歌。在这让我十分感动的一瞬间,我回忆起了被我遗忘的春蝉,并将这只虫与他相比较。毫无可比性的,听起来就像是幼稚的孩童在摆弄纯白金打造的精巧乐器一般讽刺。会将其听作讽刺,兴许是因为我的扭曲吧。所以我不愿再多想,悄悄地侧耳欣赏这澄澈的歌谣。
次の朝、草ひばりは籠を逃れ去った。私はこの叛いた虫を叢に追う愚行を敢てした。私だけのみれんである。叢では、昨夜の冴えと張りを忘れた虫らが、しらべのみはおなじ唄を繰りかえしていた。私は索然とした嫌悪を覚えた。しかし手は徒らに草の葉の向うをさぐりつづけた。
第二天早晨,草黄莺从笼子里逃走了。为了这只背叛了我的虫,我竟特意做出了去草丛里追回他的愚蠢之举。这是仅属于我的一丝留恋。草丛里,虫儿们只是重复着那相同的旋律,声音不再有昨夜的清澈与张力。我突然感到索然无味,甚至是厌恶。但双手却徒劳地朝着草丛的方向寻找着。
夏のはじめと夏のおわりと――。
私はこの虫らのいのちに交感を持った記憶をきょう忘れつくすことをねがっている。
这是夏天的起始与结束。
我祈祷着今天就能忘记和这两只虫子有过交集的记忆。
其二
私はひとつの花を誹謗しよう。
我要诽谤一种花。
信濃路の村でその花を私は田中一三にたいへんたのしく教えた。淡いかなしい黄の花びらを五つ、山百合のように、しかしあのように力強くなく寧ろ諦めきったすがすがしさで、夕ぐれ近い高原の叢に、夏のはじめから夏のなかばまで日ごとのつとめとしてひらく花である。ゆうすげという名を或るひとから習った。そのあと植物学ぶ人から萱草、わすれぐさ、きすげと習い、また時経てその花びらを食用にすることまでも習った。私は習いおぼえたかぎりを田中一三に教えた。
最终夏日逝去,秋日到来的那一天,我再次去到老师的庭院里做客。老师展示了他的虫笼,告诉我们这种虫叫草黄莺,并直截了当地以“朦胧”一词来形容他。在座有着德高望重的抒情小说作家,老师这番介绍的对象是他们,而我不过是偷听来的。待到入夜,在今年夏天最后一个夜晚,我从老师的书斋中听见了蟋蟀那倾尽全力的、发自灵魂的高歌。在这让我十分感动的一瞬间,我回忆起了被我遗忘的春蝉,并将这只虫与他相比较。毫无可比性的,听起来就像是幼稚的孩童在摆弄纯白金打造的精巧乐器一般讽刺。会将其听作讽刺,兴许是因为我的扭曲吧。所以我不愿再多想,悄悄地侧耳欣赏这澄澈的歌谣。
次の朝、草ひばりは籠を逃れ去った。私はこの叛いた虫を叢に追う愚行を敢てした。私だけのみれんである。叢では、昨夜の冴えと張りを忘れた虫らが、しらべのみはおなじ唄を繰りかえしていた。私は索然とした嫌悪を覚えた。しかし手は徒らに草の葉の向うをさぐりつづけた。
第二天早晨,草黄莺从笼子里逃走了。为了这只背叛了我的虫,我竟特意做出了去草丛里追回他的愚蠢之举。这是仅属于我的一丝留恋。草丛里,虫儿们只是重复着那相同的旋律,声音不再有昨夜的清澈与张力。我突然感到索然无味,甚至是厌恶。但双手却徒劳地朝着草丛的方向寻找着。
夏のはじめと夏のおわりと――。
私はこの虫らのいのちに交感を持った記憶をきょう忘れつくすことをねがっている。
这是夏天的起始与结束。
我祈祷着今天就能忘记和这两只虫子有过交集的记忆。
其二
私はひとつの花を誹謗しよう。
我要诽谤一种花。
信濃路の村でその花を私は田中一三にたいへんたのしく教えた。淡いかなしい黄の花びらを五つ、山百合のように、しかしあのように力強くなく寧ろ諦めきったすがすがしさで、夕ぐれ近い高原の叢に、夏のはじめから夏のなかばまで日ごとのつとめとしてひらく花である。ゆうすげという名を或るひとから習った。そのあと植物学ぶ人から萱草、わすれぐさ、きすげと習い、また時経てその花びらを食用にすることまでも習った。私は習いおぼえたかぎりを田中一三に教えた。