【生肉/八月的灰姑娘棒球队官网小说】东云龙 本垒打的女王(6)
「にやっと笑ってるところ」
彼は、悪どそうな顔をしたぬいぐるみを見つめて眉をしかめる。
「それより、これ受け取ってくれないか。回数券のお礼だよ。どのみち俺は使わないから」
「……っ」
彼が財布から取り出した紙切れを見て、龍の表情が強張った。兄が出る試合のチケットだ。兄たちのことは関係ない。そのはずなのに、はるか先を走る兄たちの存在を感じるたび、自分の行く先が不安になる。追いつき追い越すだけでは足りない、私は兄と同じ舞台には立てないのだから。もっと先にいかないといけない、けれど、いつもどこかに兄の後ろ姿がちらついてしまう。
龍は、チケットを突き返した。
「私も、これはいらないわ。この試合のチケットなら、簡単に手に入るの。……私の兄が出る試合だから」
「君のお兄さん、プロ野球選手なんだ。それなら、招待席が取れるもんな」
「貴方は、野球観戦に興味ないの? 観に行けばいいじゃない」
「そうだなぁ……」
彼はどこか気まずそうに野球のチケットをカバンに戻す。その時、ふいにカバンから財布が落ちた。中に入っていた免許証やカードが散らばる。
カードを拾い集めるのを手伝った龍は、免許証に記載された名前に目をとめた。
「この名前は……」
どこかで聞いたことのある名前だった。首を傾げていると、ダルビッシュ・零と名乗っていた彼が微笑む。
「……俺、プロ野球選手だったんだ。そこまで有名じゃなかったけど、お兄ちゃんがプロ野球にいるなら、君も一応、一軍にいた選手の名前はよく知ってるのかな」
「プロ野球選手だった、ってどういうことかしら。今は……」
「今は自由契約になって、仕事を探してるところ。だからしばらく試合には出てないんだ。もしかしたら、次はないかもしれない」
横断歩道に差し掛かった。彼は立ち止まって、信号機を見上げる。バス停までの道のりはまだ遠い。点滅する信号機の光が彼の瞳に写りこむ。信号が赤に変わると、彼は少し俯いて目の前を通り過ぎていく車のタイヤをぼんやりと眺めた。
「野球だけやって生きていられたら最高だと思ってたけど、プロになってから、その一日一日が怖くて怖くて仕方ない」
「貴方は、ホームランを打った時の感触が忘れられなくて、打ちたくて打ちたくて仕方ないから、プロになった人なんだと思ってた。まだ打てるじゃない、ホームラン」
「……ホームラン、か」
信号が青に変わった。けれど、彼は歩道に佇んだまま動かない。龍は彼の背中にアヒルのぬいぐるみを投げつけた。彼は目を丸くして、足元に転がったぬいぐるみに目を落とす。
「私なら、打てる限り、野球をやめたりしない。誰がどうしようと。誰に何を言われようと。私には野球しかないって信じてる。だから、もっとたくさん打たないと、っていつも焦るの」