《弹珠汽水瓶里的千岁同学》第七卷超长后记(生)(3)
デビューしてから苦しい瞬間というのは山ほどあったけれど、それは「もっと気の利いた比喩があるんじゃないか」とか「もっと熱く描けるんじゃないか」とか「もっと感動させられるはずだ」とか、創作するうえでは当然のように降りかかってくる産みの苦しみばかり。
筆が進まない、いい言葉が降りてこないなんて日常茶飯事でとっくに慣れっこだ。
だけど今回の不調は、これまでとは質も深さも異なっていた。
──小説が書けない。
大げさに聞こえるかもしれないが、言葉にするならそう表現するのがいちばん近いと思う。
本当に自分は作家として七冊も世に出してきたのかと疑いたくなるほどに、書き始めようとしてもなにひとつ言葉が降りてこない、チラムネの世界に触れられない。
もちろん、そうは言ってもちゃちな手癖でなんとなく空白を埋めていくことはできる。
だけど少しずつページをかさ増ししていっても、
──こんなのはチラムネじゃない。
ずっと頭のなかで声が響いていた。
いろんな場で話してきたことだけど、この作品の一番のファンは自分だと信じている。僕は一巻のときから僕が読みたいものを読むためにチラムネを書いてきた。もちろん結果として読者のみなさんの心に届けばそんなにうれしいことはない。
だからこそ、世界で一番チラムネに対して期待し、同時に厳しい目で見ている自分だからここそ、惰性で書き連ねている無味無臭な言葉が許せなかった。
熱くも、美しくも、切なくも苦しくもない。
チラムネの世界を踏みにじってしまっているような感覚に胸がはち切れそうだった。
理由ははっきりしている。
6巻を、あの八月を抜けて九月にたどり着いた彼ら彼女たちは、みんなひとときの休息を求めていた。戻ってこられた日常に身を委ねたいと願っていた。
誰も自ずから動こうとはしてくれなくて、かといって登場人物たちが動きたがっていないのを作者が無理に動かすことはできない。
これもいろんな場所で語ったけれど、僕は彼ら彼女たちが紡いでいく物語を見守りながら文章という形に落とし込んでいるだけで、そこに介入することはできないからだ。
この停滞は訪れるべくして訪れた必要な停滞。
ただそれを受け入れて、穏やかな時間を描けばいい。
頭ではそうわかっていた。
だけど同時に物語から離れた現実では、生々しい現実的な問題と向き合わなければいけない。
筆が進まない、いい言葉が降りてこないなんて日常茶飯事でとっくに慣れっこだ。
だけど今回の不調は、これまでとは質も深さも異なっていた。
──小説が書けない。
大げさに聞こえるかもしれないが、言葉にするならそう表現するのがいちばん近いと思う。
本当に自分は作家として七冊も世に出してきたのかと疑いたくなるほどに、書き始めようとしてもなにひとつ言葉が降りてこない、チラムネの世界に触れられない。
もちろん、そうは言ってもちゃちな手癖でなんとなく空白を埋めていくことはできる。
だけど少しずつページをかさ増ししていっても、
──こんなのはチラムネじゃない。
ずっと頭のなかで声が響いていた。
いろんな場で話してきたことだけど、この作品の一番のファンは自分だと信じている。僕は一巻のときから僕が読みたいものを読むためにチラムネを書いてきた。もちろん結果として読者のみなさんの心に届けばそんなにうれしいことはない。
だからこそ、世界で一番チラムネに対して期待し、同時に厳しい目で見ている自分だからここそ、惰性で書き連ねている無味無臭な言葉が許せなかった。
熱くも、美しくも、切なくも苦しくもない。
チラムネの世界を踏みにじってしまっているような感覚に胸がはち切れそうだった。
理由ははっきりしている。
6巻を、あの八月を抜けて九月にたどり着いた彼ら彼女たちは、みんなひとときの休息を求めていた。戻ってこられた日常に身を委ねたいと願っていた。
誰も自ずから動こうとはしてくれなくて、かといって登場人物たちが動きたがっていないのを作者が無理に動かすことはできない。
これもいろんな場所で語ったけれど、僕は彼ら彼女たちが紡いでいく物語を見守りながら文章という形に落とし込んでいるだけで、そこに介入することはできないからだ。
この停滞は訪れるべくして訪れた必要な停滞。
ただそれを受け入れて、穏やかな時間を描けばいい。
頭ではそうわかっていた。
だけど同時に物語から離れた現実では、生々しい現実的な問題と向き合わなければいけない。