起风了(4)
「さあ、今年の夏は何処も気候が悪かったのではないでしょうか? それにこういう山の療養所なんぞは冬がいいのだと云いますが……」
「それは冬まで辛抱して居られればいいのかも知れんが……しかしあれには冬まで我慢できまい……」
「しかし自分では冬も居る気でいるようですよ」私はこういう山の孤独がどんなに私達の幸福を育はぐくんでいて呉れるかと云うことを、どうしたら父に理解させられるだろうかともどかしがりながら、しかしそういう私達のために父の払っている犠牲のことを思えば何んともそれを言い出しかねて、私達のちぐはぐな対話を続けていた。「まあ、折角山へ来たのですから、居られるだけ居て見るようになさいませんか?」
「……だが、あなたも冬迄一緒に居て下されるのか?」
「ええ、勿論居ますとも」
「それはあなたには本当にすまんな。……だが、あなたは、いま仕事はして居られるのか?」
「いいえ……」
「しかし、あなたも病人にばかり構って居らずに、仕事も少しはなさらなければいけないね」
「ええ、これから少し……」と私は口籠くちごもるように言った。
――「そうだ、おれは随分長いことおれの仕事を打棄うっちゃらかしていたなあ。なんとかして今のうちに仕事もし出さなけれあいけない」……そんなことまで考え出しながら、何かしら私は気持が一ぱいになって来た。それから私達はしばらく無言のまま、丘の上に佇たたずみながら、いつのまにか西の方から中空にずんずん拡がり出した無数の鱗うろこのような雲をじっと見上げていた。
やがて私達はもうすっかり木の葉の黄ばんだ雑木林の中を通り抜けて、裏手から病院へ帰って行った。その日も、人夫が二三人で、例の丘を切り崩していた。その傍を通り過ぎながら、私は「何んでもここへ花壇をこしらえるんだそうですよ」といかにも何気なさそうに言ったきりだった。
夕方停車場まで父を見送りに行って、私が帰って来て見ると、病人はベッドの中で身体を横向きにしながら、激しい咳にむせっていた。こんなに激しい咳はこれまで一度もしたことはないくらいだつた。その発作がすこし鎮まるのを待ちながら、私が、
「どうしたんだい?」と訊ねると、
「なんでもないの。……じき止まるわ」病人はそれだけやっと答えた。「その水を頂戴」
私はフラスコからコップに水をすこし注いで、それを彼女の口に持って行ってやった。彼女はそれを一口飲むと、しばらく平静にしていたが、そんな状態は短い間に過ぎ、又も、さっきよりも激しい位の発作が彼女を襲った。私は殆んどベッドの端までのり出して身もだえしている彼女をどうしようもなく、ただこう訊きいたばかりだった。