起风了(2)
九月の末の或る朝、私が廊下の北側の窓から何気なしに裏の雑木林の方へ目をやって見ると、その霧ぶかい林の中にいつになく人が出たり入ったりしているのが異様に感じられた。看護婦達に訊きいて見ても何も知らないような様子をしていた。それっきり私もつい忘れていたが、翌日もまた、早朝から二三人の人夫が来て、その丘の縁にある栗の木らしいものを伐きり倒しはじめているのが霧の中に見えたり隠れたりしていた。
その日、私は患者達がまだ誰も知らずにいるらしいその前日の出来事を、ふとしたことから聞き知った。それはなんでも、例の気味のわるい神経衰弱の患者がその林の中で縊死いししていたと云う話だった。そう云えば、どうかすると日に何度も見かけた、あの附添看護婦の腕にすがって廊下を往ったり来たりしていた大きな男が、昨日から急に姿を消してしまっていることに気がついた。
「あの男の番だったのか……」第十七号室の患者が死んでからというものすっかり神経質になっていた私は、それからまだ一週間と立たないうちに引き続いて起ったそんな思いがけない死のために、思わずほっとしたような気持になった。そしてそれは、そんな陰惨な死から当然私が受けたにちがいない気味悪さすら、私にはそのために殆んど感ぜられずにしまったと云っていいほどであった。
「こないだ死んだ奴の次ぎ位に悪いと言われていたって、何も死ぬと決まっているわけのものじゃないんだからなあ」私はそう気軽そうに自分に向って言って聞かせたりした。
裏の林の中の栗の木が二三本ばかり伐り取られて、何んだか間の抜けたようになってしまった跡は、今度はその丘の縁を、引きつづき人夫達が切り崩し出し、そこからすこし急な傾斜で下がっている病棟の北側に沿った少しばかりの空地にその土を運んでは、そこいら一帯を緩やかななぞえ
にしはじめていた。人はそこを花壇に変える仕事に取りかかっているのだ。
「お父さんからお手紙だよ」
私は看護婦から渡された一束の手紙の中から、その一つを節子に渡した。彼女はベッドに寝たままそれを受取ると、急に少女らしく目を赫かがやかせながら、それを読み出した。
「あら、お父様がいらっしゃるんですって」
旅行中の父は、その帰途を利用して近いうちにサナトリウムへ立ち寄るということを書いて寄こしたのだった。
それは或る十月のよく晴れた、しかし風のすこし強い日だった。近頃、寝たきりだったので食慾が衰え、やや痩やせの目立つようになった節子は、その日からつとめて食事をし、ときどきベッドの上に起きて居たり、腰かけたりしだした。彼女はまたときどき思い出し笑いのようなものを顔の上に漂わせた。私はそれに彼女がいつも父の前でのみ浮べる少女らしい微笑の下描きのようなものを認めた。私はそういう彼女のするがままにさせていた。