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遺言 大杉栄

2023-11-29 来源:百合文库

遺言
大杉栄


 四五年前の二月頃だった。或日、突然、明治大学の学生から電話がかかつて来て、今大学の講堂で学芸部の演説会をやってゐるから、直ぐやつて来て何にか話してくれと云ふ。
 其の演説会のある事はかねてHから聞いてゐた。法政経済専門の学者の意見は聞きあきてもゐるし、それにとかく国家とか政治とか法律とかの何等かの権威に囚はれた説ばかりで面白くもないから、こんどは全く方針を変へて、文芸方面の新思想家を招きたいと云ふ話から、其の人選の相談にもちよつと与つた。そして弁士の一人として生田長江君を紹介して置いた。しかし僕自身が其の会に招かれようとは夢にも思はなかつた。僕などがさう云ふ会によばれるのは、絶対的にと云つてもいい程に、先づない事であつた。現に此の十幾年ばかりの間に、幸徳が一度早稲田大学で講演したのと、堺が一度慶應義塾大学で講演したのと、二度だけしかない。尤も僕も一度、二三年前に早稲田の何んとか会から呼ばれかかつた事はあるが、何にかの都合で中止になつて了つた。滅多にはない機会だ。
是非出て見たい。しかし呼ぶにしても余りに突然な呼びかただ。それに、二週間ばかり前から疑似赤痢とも云ふやうな病気にかかつて、漸く一二日前から普通の食事を許されて、まだ寝床に横はつてゐた。電話をかけに二階から下へ行くのでさへ、からだがふら/\する。とても明治大学まで出掛けて行つて演説なぞの出来よう筈がない。で、其の訳を云つて、残念ながら断つた。

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