死のかげの谷(4)
2023-03-19起风了 来源:百合文库
私はその樅の木からさえ、心ならずも立ち去った。
十二月七日
集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、私は突然二声ばかり郭公かっこうの啼きつづけたのを聞いたような気がした。その啼き声はひどく遠くでしたようにも、又ひどく近くでしたようにも思われて、それが私をそこいらの枯藪かれやぶの中だの、枯木の上だの、空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。
それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡うちに鮮かに蘇えり出した。……
けれども、そんな三年前の夏の、この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。
十二月十日
この数日、どういうものか、お前がちっとも生き生きと私に蘇よみがえって来ない。そうしてときどきこうして孤独でいるのが私には殆どたまらないように思われる。朝なんぞ、煖炉だんろに一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦じれったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。――私はそれから漸やっと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。
又午後など、すこし村でも歩いて来ようと思って、谷を下りてゆくと、この頃は雪解けがしている故、道がとても悪く、すぐ靴が泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、大抵途中から引っ返して来てしまう。そうしてまだ雪の凍しみついている、谷までさしかかると、思わずほっとしながら、しかしこん度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるような上り道になる。そこで私はともすれば滅入りそうな自分の心を引き立てようとして、「たとひわれ死のかげの谷を歩むとも禍害わざはひをおそれじ、なんぢ我とともに在いませばなり……」と、そんなうろ覚えに覚えている詩篇の文句なんぞまで思い出して自分自身に云ってきかせるが、そんな文句も私にはただ空虚に感ぜられるばかりだった。
十二月十二日
夕方、水車の道
に沿った例の小さな教会の前を私が通りかかると、そこの小使らしい男が雪泥の上に丹念に石炭殻を撒まいていた。私はその男の傍に行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか、と何んという事もなしに訊きいて見た。
「今年はもう二三日うちに締めますそうで――」とその小使はちょっと石炭殻を撒く手を休めながら答えた。「去年はずっと冬じゅう開いて居りましたが、今年は神父様が松本の方へお出いでになりますので……」
「そんな冬でもこの村に信者はあるんですか?」と私は無躾ぶしつけに訊いた。
十二月七日
集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、私は突然二声ばかり郭公かっこうの啼きつづけたのを聞いたような気がした。その啼き声はひどく遠くでしたようにも、又ひどく近くでしたようにも思われて、それが私をそこいらの枯藪かれやぶの中だの、枯木の上だの、空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。
それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡うちに鮮かに蘇えり出した。……
けれども、そんな三年前の夏の、この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。
十二月十日
この数日、どういうものか、お前がちっとも生き生きと私に蘇よみがえって来ない。そうしてときどきこうして孤独でいるのが私には殆どたまらないように思われる。朝なんぞ、煖炉だんろに一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦じれったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。――私はそれから漸やっと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。
又午後など、すこし村でも歩いて来ようと思って、谷を下りてゆくと、この頃は雪解けがしている故、道がとても悪く、すぐ靴が泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、大抵途中から引っ返して来てしまう。そうしてまだ雪の凍しみついている、谷までさしかかると、思わずほっとしながら、しかしこん度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるような上り道になる。そこで私はともすれば滅入りそうな自分の心を引き立てようとして、「たとひわれ死のかげの谷を歩むとも禍害わざはひをおそれじ、なんぢ我とともに在いませばなり……」と、そんなうろ覚えに覚えている詩篇の文句なんぞまで思い出して自分自身に云ってきかせるが、そんな文句も私にはただ空虚に感ぜられるばかりだった。
十二月十二日
夕方、水車の道
に沿った例の小さな教会の前を私が通りかかると、そこの小使らしい男が雪泥の上に丹念に石炭殻を撒まいていた。私はその男の傍に行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか、と何んという事もなしに訊きいて見た。
「今年はもう二三日うちに締めますそうで――」とその小使はちょっと石炭殻を撒く手を休めながら答えた。「去年はずっと冬じゅう開いて居りましたが、今年は神父様が松本の方へお出いでになりますので……」
「そんな冬でもこの村に信者はあるんですか?」と私は無躾ぶしつけに訊いた。