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破片1(2)

2024-04-11 来源:百合文库
 七歳のある日、わたしは、こういう言葉を聞いたのであった「君の家の坊やは将来大成功になりますよ。ほら、絵も上手だし、空手もよく練習するのを見ていましたわよ」。言われた相手はそのあつしくんなんで、わたしはついに爆発し父や母の前に、「あいつはなにがいいの?空手も、絵も、木を登るのもわたしよりよくないし、そのほか、歌も歌えないわ!なんでわたしを褒めないで、彼だけを誉めるの?おかしくないのか?」
 それを聞いたあつしくんの母の顔色は、青白くなり、あげく「失礼します」といい、帰ったのだろう。わたしは普段同じく、叱らればっかなんだ。
 わたしは秋に生まれたので、十二年を経ったあの年の夏の始まり、わたしは母の大きくなったお腹に気づいた。おめでたいことに、彼らは自分の望み通りに、男の子を得た。
 でもそれは、何回目の流産の後だろう。

今のわたしは、かなり男っぽい。
 髪の長さは自分の耳を過ぎたばかり、服は青かり黒かりという。ドレス、スカート、ワンピースなどの女性らしきものは、けして外に着ることがない。
 それは、十二歳の秋、わたしの弟が、わたしの誕生日と同じな日で生まれたもう一人のわたしにたいして、設立した、わたし自分に対しての、鋼の規則である。

破片1


 時に時運は奇妙なものだ。
 わたしは、自分の髪を短く切って、その次の日に、わたしの下に血が流れ出した。あの時のわたしは、自分が絶症とでも患ったのかと考え、死んで女として生きることがないが故に生じた喜びと、そぬそのものに対する本能的な恐れが混じり合い、複雑な決まりないだった。
 それが「月経」「生理期」というものとして、正しく認識したのは、三日後だった。三日後でこれが父母たちにバレ、わたしをもう一度叱った。
 わたしは、わたしの女性らしき服は、他の人の前に着ることがないのを言った。それは実、自分一人の時に、自分一人が鏡の前で、自分の体、自分のスカート姿を見る、そして惚れる。これも一種のナルシシズムといっても過言ではなかろう。
 わたしはそうやって、外の人が見える自分と、自分一人の時の自分、という二つの自分のイメージを作ってきた。他の人の前では「僕」、自分一人の時は「わたし」。女の子の心として、わたしも、わたしのこの、もっても柔らかく、傷付けやすく、繊細な「わたし」を、自分の大事な人に捧げることを決まった。
 女の子たちは、天然に男のやり方をわかるのではなく、この世に流れるおおくのことは男の視点から述べたのである。男の無意識、男の価値観、男らしさとは何、男の趣味や嗜好など、わたしはこれらを学びながら、自分一人の時にわたしの本当の趣味をみる。
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