『女生徒』太宰治.1939 #2(7)
新ちゃんが不平や人の悪口言ったのを聞いたことがない。その上いつも明るい言葉遣い、無心の顔つきをしているのだ。それがなおさら、私の胸に、ピンと来てしまう。
あれこれ考えながらお座敷を掃いて、それから、お風呂をわかす。お風呂番をしながら、蜜柑箱(みかんばこ)に腰かけ、ちろちろ燃える石炭の灯をたよりに学校の宿題を全部すましてしまう。それでも、まだお風呂がわかないので、□東綺譚を読み返してみる。書かれてある事実は、決して厭な、汚いものではないのだ。けれども、ところどころ作者の気取りが目について、それがなんだか、やっぱり古い、たよりなさを感じさせるのだ。お年寄りのせいであろうか。でも、外国の作家は、いくらとしとっても、もっと大胆に甘く、対象を愛している。そうして、かえって厭味が無い。けれども、この作品は、日本では、いいほうの部類なのではあるまいか。わりに嘘のない、静かな諦めが、作品の底に感じられてすがすがしい。この作者のものの中でも、これが一ばん枯れていて、私は好きだ。
この作者は、とっても責任感の強いひとのような気がする。日本の道徳に、とてもとても、こだわっているので、かえって反撥(はんぱつ)して、へんにどぎつくなっている作品が多かったような気がする。愛情の深すぎる人に有りがちな偽悪趣味。わざと、あくどい鬼の面をかぶって、それでかえって作品を弱くしている。けれども、この□東綺譚には、寂しさのある動かない強さが在る。私は、好きだ。